今日(6/17)は、亡姉の月命日
ということで、お墓参りをした後は恒例の供養ボランティアをしました。
今回は、開拓者の記念碑の文字のコケ落としのほか倒木処理などでしたが、記念碑の方は今日で完了 (^^)/
当初の見込みより時間がかかりましたが、取りあえず無事に最後までたどり着けて、よかったと思います。
始める前は全く読めなかったのですが、それなりに読めるようになりました (^^)/
ちなみに、この碑文の全文は次のとおりです。
「おほらかな和につどい 愛と美と真の世界を ひたすらに拓き求めん」
この言葉は私の父が作ったものらしいのですが、なぜこのような言葉にしたのかについて、年々気になるようになりました。
まず、「おほらかな和につどい」ですが、なぜ「おほらかな」にしたのかということです。
別の言葉でもよかったと思うのですが、なぜ「おほから(おおらか)」にしたのか。
まあ、でも、これについては、この地に集まった開拓者の人たちは、それまでは全く見知らぬ人たちだったのですから、「おおらかな和」くらいの「和」しか望めなかったのではないかと想像します。
つまり、理想的な「和」にはほど遠くても、それなりの「和」でもよいではないか、というのが父の気持ちではなかったかと想像するのです。
生きるかか死ぬかといった厳しい開拓生活を続ける中では、きっとたくさんの衝突などがあったと思われますので、「気持ちをおおらかに持って、互いに仲良くやろうや」という気持ちではなかったかということです。
問題は次の言葉です。
「愛と美と真の世界を ひたすらに拓き求めん」
特に「愛と美と真の世界」です。
なぜ「愛」なのか、なぜ「美」なのか、そして「真の世界」とはどういう世界なのか、といったことです。
父は職業軍人だった人で、メレヨン島という小島の指揮官で終戦を迎えました。
剣道七段で陸軍の剣道の教師もしていたそうです。
そのような父のイメージと、「愛」や「美」のイメージとがうまく調和しないのです。
なぜこのような言葉で開拓者の皆に呼び掛けたのか。その気持ちがよく分からないのです。
そこで、健在だった頃にそれを父に聞いておけばよかったのですが、若かった私にはそこに疑問を抱くようなことはありませんでした。今となっては残念に思っています。
ただ、一応、戦争の現場に長く身を置いた経験から、また、開拓者の多くは引揚者だったという事情もあったことから、戦争の対極にある「愛」や「美」、そして「真の世界」を大事にしていこうやと言いたかったのではないかと思っています。



コメントをお書きください