いっそ新聞やめようか

今日(7/13)のわが町(宮城県加美町)の雨はすごかった。

7月としては観測史上最高だったそう。

 

幸いわが家は高台なので大丈夫でしたが、町の方では車が水没して全国ニュースにもなっていました。

 

・・それとは関係ありませんが、

写真は、安倍元総理のお葬式の報道などを見ていて、今回のことを記憶だけでなく記録にもとどめておこうと思い、ミニ色紙に書いたものです。

 

なんといっても最近はお昼に何を食べたのか思い出せなくなってきたし、昨日のお昼はほぼ100パーセント覚えていないので、今回の歴史的な出来事もいつ忘れるか分からない、という不安があったという事情もあります(^^)/ チョットオオゲサ

 

・・で、まぁ、少なくともこんなふうに形にしておけば思い出す手掛かりになるのではないか、と思いました。

 

それに、今回の事件は100年経っても語り草になることだと思うので、それをリアルに同時体験した者として形に残しておきたいという気持ちもありました。

 

・・・それにしても、安倍さんの死に対する世界の反応がすごいですね。欧米諸国からだけではなく、その対立する側の国からもたくさん弔意が寄せられています。

日本の政治家でこのように世界から高く評価されることを直接知った人は初めてです。

 

そして、日本に居て、日本のマスコミの情報を浴び続けために、安倍さんの価値を低く判断し過ぎてしまったのではないかという気持ちにもなりました。

 

マスコミが権力を監視し、厳しく論評をするのは結構。

しかし、結果として、国民の安倍さんに対する適切な評価を歪めさせてしまったのではないか。

国民の判断を狂わせてしまったのではないか。

そんなふうにも思いました。

 

前にも書きましたが、太平洋戦争前夜、多くのマスコミは権力批判という形で国が戦争に向かうことを主張し続けました。

国民をあおったと言ってもいい。国の方針を誤らせたと言ってもいい。

どうやらそれが史実らしいのです。

 

だから、マスコミが権力を監視し、批判をしていれば大丈夫というわけではない。

つまり、政府を批判する側に立って報道していれば常に国民のためになる、ということではないと思うのです。

実際、過去にそうやって国民を誤った方向に導いたのですから。

 

だから、時に政府を評価し、別の時は批判をする。

そのようなスタンスでないと、同じ過ちをまた繰り返すのではないかと、心配になるのです。

 

もっとも、そのような中庸的な立場では熱心な読者を確保できず、マスコミの経営の破綻を招きかねないかもしれません。

 

しかし、だからといって、自分の会社の存続のために偏った情報・論評を流し続けるのであれば、それはもはや本末転倒、社会的な犯罪ともいうべきことではないでしょうか。

 

まぁ、ということもあって、今回の安倍さんとの関係で私自身が反省することは、やはりマスコミは複数利用しないと危ないな、ということでした。

 

というのは、昔は仕事柄、新聞を8紙くらい毎日読んでいたことがあって、そのようなことをしないと危ないな、と思ったということです。

 

でも、リタイヤした身にはそういうことは無理ですから、この際いっそ新聞をやめようかな、とも思い始めました。事実関係だけならネットで十分集められますし、いろんな立場の発信内容も見られます。しかもタダで

テレビの番組表だって新聞がなくても大丈夫です。

 

ということで、知らないうちにマスコミに誤った方向に導かれてしまうのだったら、いっそ自分だけを信じる道を選ぶ。それもいいかな。

そんなことも思った今回の事件でした。