「やってみっか奔舎」代表(舎長)の高橋裕紀です。簡単に自己紹介させていただきます。

 

私は1951年に宮城県加美町(旧中新田町)で生まれ、大学卒業後はサラリーマンとして全国を転勤して歩きました。そして、あの東日本大震災があった2011年3月に定年退職し、翌月に故郷に戻って現在に至ります。

久しぶりに戻った実家は、既に両親が他界し農家の跡取りだった兄も亡くなっており、廃墟同然の家屋の周りは荒れ放題でした。特に竹林の荒れ方は激しく、中に人が入れないほどであり、竹林内部で成長できない竹は周囲の畑に根を伸ばし、そこでは野菜すら植えられない状態になっていました。

 

私の竹との格闘はこうして始まり、様々な試行錯誤の末に竹を加工して地元のマルシェで販売するようになりました。すると、幸いにも少し売れたのです。

 

「竹がお金になる!」

それを体験したことで、荒廃竹林の未来にかすかな光を見いだした思いがしました。そこで、こうしたイベントでの販売を続けていたところ、町長さんの目に止まり、勧められて応募した支援事業の一つに選ばれたことで弾みがつきました。以後、町の支援を受けて事業化に取り組み、現在では地元の直売所など11か所に製品を置かせてもらえるようになりました。

 

このような中で、いずれ故郷の荒れた竹林を京都のように美しい竹林にしたいという夢が膨らんでいきました。いわば「竹林復活」です。しかし、現状のままではこの夢の実現はおぼつきません。地元の直売所で販売する程度では人を雇用することはできず、わが家以外の竹林整備まで手が回らないからです。

 

そこで、このたび、ホームページを立上げ、ネット販売を始めることにしたのです。ここで多くの方に私どもの竹製品を購入していただき、それによって当舎が力を付け、人を雇用し、故郷の竹林から余分な竹を切り出して美しい竹林に復活させようと思っているのです。

 

私どもが住む加美町は、冬にはマイナス10度以下になることもあり、雪もたくさん降ります。このような酷寒・多雪の環境は、温暖を好む孟宗竹(モウソウチク)にとって自生することができるギリギリの環境なのだそうです。皆様にお届けする竹製品は、この極限の環境にある北国で力強く生き抜いている竹、いわば「北限の竹」を材料としたものです。また、この竹を使って焼いた竹炭は、飲用や料理用として使わることを念頭に置いて、これ以上ないだろうと思われるほど清潔にこだわって作っています。そして、これを「日本一清潔」な「北限の竹炭」として皆様にお届けします。どうか安心してお使いになってください。そして、荒廃竹林に悩む人たちに笑顔が戻るよう、お力をお貸しください。

 

2018年11月

やってみっか奔舎 代表 高橋 裕紀

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